「あなたのことはそれほど」第5話

作者もそう明言しているが、このドラマは誰かに感情移入して見るのは難しい。
どうも4人の中で一番まともに見える有島麗華の肩を持ちたくなるが、そこまで入り込めるかと言われたらそうではない。端からこの4人の行く末を見守っていたい、そんな感じのドラマである。


私は第5話をいきなり見たのだが、私は渡辺涼太が好きなキャラクターだと思った。
秒速5センチメートルを見た時も、主人公の男の子の遠野貴樹に共感していたから、きっと自分は一途が好きなんだと思う。一途という状況が好きなのだと思う。
渡辺涼太は怖いくらい一途だ。怖いくらい美都が好きで、怖いくらい美都に優しい。優しくて穏和でふわふわしてるように見えて、でも本音は何を考えてるのか分からない。だから、唐突に反撃を始めた涼太は、ただただ怖い。しかしその狂気に、不思議と魅力を感じてしまうのは何故だろう。

それは、それだけ一心に思われていることへの、または誰かのことをひたすらに想うことができることへの憧れではないか。狂ってしまうほど愛されることへの憧れではないか。


行き先も言わず美都の言うことにも耳を貸さず、どこかへ出かけてしまった涼太。美都もさすがに危機感を募らせたのではないか、自分が取り返しのつかないことをしてしまったと気付いたのではないか……と期待したが、そうでもなさそうだ。
有島光軌に友達に戻ろうと言われても友達だったことは無いと言い、あくまでも自分が中心に動いている。私は美都の気持ちは全く理解できない。自分の容姿に余程の自信があるのだろうか。“運命の恋”に振り回されて周りが見えていない彼女はただただ愚かとしか言えない。
二番目でも、「好き」で結婚したはずなのに、涼太からの愛情を受け止めない美都は薄情だと思う。彼女は何故結婚してしまったのだろうか。


美都と涼太は出会うべきではなかったのかもしれない。お互いにお互いを好きでも、幸せにはなれない組み合わせだったのだろう。

映画『シン・ゴジラ』

自分がシン・ゴジラを見て思ったことは次の3つだった。
・王道ストーリー
・細かい部分のリアルさ
ゴジラはなぜやってきたのか
 
 
 
一つ目はもう言うまでもないだろう。巨大不明生物ゴジラが日本に襲来し慌てふためく中で、主人公の矢口率いる変わり者の集合体「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」が活躍を見せ、無事ゴジラの生態活動を停止させる。なんとも王道。
自分はハピエン主義者だし望んだように話が展開して安心して映画を見ることが出来たが、少し物足りないかなという感じもした。


二つ目はファンタジー作品だが妙にリアリティがある点だ。主に前半部分の官僚らの会議や、自衛隊の様子、住民の避難の様子などがとてもリアルだった。
実りのない有識者会議や中々発砲できない自衛隊などはもどかしさを感じたが、このもどかしさか良くも悪くも日本らしいんだろうなと思った。


三つ目は、ゴジラがわざわざ日本に上陸した理由である。途中でゴジラの行動には目的や思考が見られないというようなシーンがあったが、それにしてもわざわざ自分に危害を加えてくる人間のいる地上にやってくる必要はあったのだろうか。
それともゴジラは自然災害的に突然やってくる脅威の象徴として描かれただけなのだろうか。その辺りがいまいち釈然としなかった。
 
 
全体的には概ね楽しんで見ることのできた映画だった。ただの怪獣映画かと見くびっていたがそんなことは無く、終始飽きずに見ることが出来た。

優しさは苦しさ。/映画『グリーンマイル』

映画『グリーンマイル』は、アメリカの死刑囚監房が舞台の物語である。看守のポール・エッジコムが死刑囚で不思議な力を持つジョン・コーフィに出会い、様々な出来事に遭遇する。

ここで私はポールについて考察したい。まずこの映画を見て際立ったのは、ポールが人間として内面的にいかに優れているのかだ。ポールは常に冷静沈着であり、相手を思いやり状況に応じて融通の利かせることのできる人物だ。パーシー・ウェットモアの傲慢で身勝手な態度にも激情したりせず、穏便に事が済むように気を配っていた。監房の中で唯一直接治療を受けていた人物であるという理由もあるが、パーシーがウィリアム・ウォートンを射殺した際にもジョンのことを信じ続けていた。そしてジョンの力を気味悪がったりせずに受け止めることができる。彼のような人間には中々出会うことが出来ないだろう。死刑囚監房が舞台のため、もちろん死刑(電気椅子)執行の場面も描かれ何人もの人が死んでいく。それにも関わらずこの監房に人間味があふれ温かい空気が流れているのは、ひとえに彼の人柄のお陰と言っても過言ではないだろう。

108歳になっても看守だった当時のことを気にし続け、長生きすることが神からの罰だと言う。これが私には知人や愛する人が亡くなっていくのを看取るという辛い状況の言い訳をしているようにも思えてしまう。ポールが長生きするのは、ジョンの厚意によってである。一連の出来事が彼にとってとても衝撃的だったのは理解するに難くないが、その状況そのものを罰と呼んでしまうのはジョンに対しても失礼になるのではないか。誰もポールのことは恨んでいないし、ジョンは寧ろポールが看守でよかったと思っているだろう。罰だと言い聞かせることで彼なりにこの状況を乗り越えていこうとしているのだろう。

ポールは優しい人間だ。優しいからこそジョンを何とか救いたいと思い、自分自身を責めた。ポールがもし他人に寄り添わないような人間だったら。ジョンの力を知ることも、長生きすることも、それによって苦しむことも無かっただろう。優しさは苦しさを招く。そんなことを思った『グリーンマイル』だった。